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町長室へようこそ No.116

北海道の名付け親 松浦武四郎の思考を大きく変えた渚滑川

今年は滝上町の本格的な開拓が始まった明治41年(1908年)から数えて110年目にあたります。村史には和人が開拓する前の明治32年(1899年)、33年(1900年)頃から柳田初太郎というアイヌの人が渚滑川合流点で漁猟生活を営んでいたと記されていますが、この程、しょこつがわ連携研究会が主催した「松浦武四郎とアイヌ文化フォーラム」が文化センターで開かれ、その50年前、武四郎がアイヌの人の案内で渚滑川をさかのぼり、オシラネップ川の河口で出会ったアイヌの人との交友が大きな転機になった新たな史実に、渚滑川が繋ぐ紋別と滝上の連携を深めるよい機会になりました。

松浦武四郎記念館元館長の高瀨英雄氏が講演を行う様子三重県松阪市にある松浦武四郎記念館元館長 高瀨英雄氏の講演は研究者として武四郎に関する多くの文献から、渚滑川踏査を境に日記がアイヌ民族を友とする内容に激変するとして、その理由に、川筋に住んでいたアイヌの人のうち男と若者たちはソウヤに連れて行かれ、年寄や妻と子どものみ残され、コタン(アイヌ集落)の中では最も悲惨だとしている。これを契機に道内各地のアイヌの人々の現状を克明に記録し、「開発は大事だが、まずアイヌ民族の命を救い文化は尊重されるべきだ」と幕府に訴えるのですが・・・。
滝上の踏査は10年ぶりに渚滑に来た時で、オシラネップの河口で犬を連れた立派なアイヌの人に出会う。十勝生まれだが、全道の山々を知り尽くし、数年前からこのあたりに住んでいて、「蝦夷地が松前藩から幕府の支配になってよくなるかと思ったが、何も変わっていない。ロシア人や外国人が来てアイヌを手なづけたら蝦夷地はどうなるか・・・それが心配。」と涙を流し武四郎に告げるのです。高瀨氏は、オシラネップで出会ったアイヌの人が語ったことばがまさしく武四郎のことばと思うと言います。

武四郎は幕府・維新政府にも失望し、その後北海道に来ることはありませんでした。講演を聞く町民の様子そのことを強く知らしめたのがオシラネップで出会ったシコツアイノという勇壮なアイヌの人であったのです。アイヌの人々の持っている誠実さ、自然との共生、豊かな人間性、素晴らしい文化を受け入れる寛容性を松浦武四郎は持っていたこと、今から150年前に人権の考え方を持ち、地名はその土地の歴史、文化であることから、大きな節目であるこの年に、松浦武四郎とアイヌ文化を学び、この地域の未来を考えることは大変意義のあることと思うのです。

滝上町長 長屋 栄一

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