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町長室へようこそ No.12

なら、この日要請の一番が北海道開発局長(すでに後任が内定していました)からでしたので、しかし陳情会はむしろ淡々としたものでした。
開発局の談合続発問題を機に道開発局の廃止論が勢いづき、府県と比べ整備が遅れている北海道の特例措置削減にいずれ及ぶのではとの懸念があります。分権委からは今後、開発局のみならず他の省庁の出先機関も整理する2次勧告が出される動きです。またこれとは別に国直轄の国道の15%・河川の40%の管理を国から都道府県へ移すよう勧告が出ました。具体的な名前は発表されていませんが、国道273号・渚滑川が道管理になるのか注視していく必要があります。今後とも地方分権にかかわる動きからは目が離せません。

今回の省庁まわりで、これまでと大きく変わったのはセキュリティです。これまで財務省以外は名刺で入館できましたが、今回から訪問者は写真付きの身分証明書を見せて通行証をもらい、それをセンサーに当て扉を開かせるのです。省庁職員はすべてICチップカードを使い扉を開けます。通行証は建物ごとにすべて違いますので毎回検査を受けなければなりません。サミットに関係なく非常に厳しくなりました。
 東京陳情は、とにかく歩きます。省庁の中は冷房が高く設定されているのか生温かく、湿度も高いためすぐ汗だくになります。夏の北海道の過ごしやすさがありがたく感ずる陳情のひとこまでした。

陳情終了後、随行の安藤企画係長と高知県に飛び越知町を訪れました。越知町とは平成13年に友好交流町の締結をし、以来相互に訪問交流を重ねています。さっそく吉岡町長自ら公用車を運転し、われわれのために横倉山の案内をしてくださいました。越知町は1000年もの歴史ある土地で、800年前、平家物語では壇ノ浦の戦いで幼い安徳天皇(第81代天皇、父は高倉天皇、母は平清盛の娘徳子、清盛が関白になるため1歳で天皇に即位)が祖母に抱かれて入水したことになっています。しかしそれは替え玉で、本物の安徳天皇は平家の従者をつけて密かに四国各地を巡り、最後にこの横倉山に落ち着いて23歳で亡くなられ、峰に葬られたとの四国潜幸説があります。中ノ宮である杉原神社は樹齢600年・500年になる杉の巨木が周囲を囲み、平知盛ら平家の従者88人の墓が各所に祭られています。その中に吉岡越知町長の先祖がいると聞かされました。ここより1キロほど上の峰に伝承の安徳天皇陵墓があり明治初期に宮内庁より陵墓見込地として5.8haが確定され、宮内省の所轄になっています。また安徳天皇の遺徳をしのんで従者たちが建てた横倉神社は石灰岩の断崖上にあります。深閑とした杉の巨木に断崖絶壁、ここはまさしく歴史に満ちた霊場に違いないと感じました。
 片道1.4㌔ほどの道程ですが樹林はほとんど人の手が入ってなく、数百年経つアカガシや、カゴノキ他極めて多様な植生がみられます。100年前滝上に初めて足を踏み入れた高知県人は故郷と全く異なった原始の森にどんな思いで開拓の斧をおろしたのでしょうか。
横倉山の地質は日本でも屈指の古いもので、四億三千万年前のサンゴ礁の化石が見つかっているのは驚きです。博物館にはかって横倉山とオーストラリアが近いところにあったことを物語る植物の化石も見られるなど、横倉山は学術的にも貴重なものが多く興味深く見学しました。

 吉岡越知町長に100年記念式典への出席をご案内したところ、大変ありがたいと、この際町民にも呼びかけてバス1台くらいの20~30人で行くことを早速検討するとの運びになり、さらに、越知町も昭和の大合併で新越知町になってから50年を迎え記念の式典を10月25日に行う予定で、滝上町にも案内をするので、出席してほしいとの要請をうけました。
今年から売り出した七味トウガラシの原料の一つ山椒の畑も視察できました。

奇しくも、今年越知町と滝上町がそれぞれ大きな節目の年まわりになることに、友好交流町同志の因縁を感じる訪問でした。今年を契機にさらに交流を深めていきたいと思います。

滝上町長  長屋栄一

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